1969年10月11日(当時20歳)
富士山に登る予定では無かった。
FISCOへ日本グランプリを見に行った帰りに富士山五合目までドライブした。 五合目で景色を眺めていると誰かが富士山頂が直ぐそこに見える、登ってみようか、と言い出した。
確かに山頂が近くに見えたので登山道も確認せず直登することにした。 お弁当どころか飲み水も用意していない。 当然、運動靴である。 直ぐ近くに見えた山頂はいくら登っても近づいてこない。
それに傾斜がドンドンきつくなり足元が滑り出して、前に進めなくなってしまう。 空気が薄く、飲み水、食べ物が無い為、みんな疲労から無口となり、途中からガスに飲み込まれる。
山頂に着いてからは火口を1周し、測候所に頼み込んで水を貰った。 下りは須走を走り回りあっと言う間に山麓に着くが、登りと違うところに降りてしまい、テクテクと駐車場まで歩いて帰る。
今、振り返れば飲料水無し、直登の若さが成し遂げた無謀な富士登山であった。
登ったのは富士スカイライン五合目駐車場から直登した。
剣ヶ峰まで行き、下りは登山道を辿ったので駐車場まで遠かった。
初めの予定はFISCOへ日本グランプリを観戦に行くだけだったが、レース観戦後、富士の五合目まで観光に行ってみた。
五合目から山頂を眺めると山頂が直ぐ近くに見え、簡単に
登れそうに思えた。 誰が言い出したのか、山頂目指して
直登することになった。
登っても登っても山頂に近付かない。 登り始めは良い天気だったが、麓からガスが上がってきた。 登り始めは緩かった斜度も段々きつくなり這いつくばって登るようになってくる。
登って行けば山頂に着けるだろうと、兎に角、山頂を目指し登り続ける。
残念ながら所要時間は不明であるが、富士山の最高峰 ”剣ヶ峰”(3,776m)に辿り着けた。
今日の富士山は登山ラッシュが考えられない貸切り状態であった。
下りは吉田コースから下山し、砂礫の道を走り回ったのを覚えている。
運動靴なので当然、砂礫が靴に入り難儀した。 下り終えた場所は車から随分離れた場所だったので外周路を車まで歩いて戻る。 紅葉は既に終わっていた。
手提げカバンで富士登山するなんて考えられない。
山梨県富士吉田市上吉田
標高差:1,472m
雑記
登山の認識がまったくなく山頂が見えるから行ってみようの乗りだけで登ってみたが、流石、富士山への登りはきつかった。 しかし、若さとは恐ろしいものでトレーニングもしないで飲水も無しで登り切ってしまった。
時間とかの登山記録がまったくないのが惜しまれる。 山開き後の富士山は登山者が列を成して登っているようだ。 そんな富士山には登りたくないので、次回は山開き前か、山終い後に登ってみたい。
それでも溢れる人出が想像出来る。
以後、山歩きはしなくなった。
富士登山の少し前に職場の山岳部に騙されて登山経験は無いのに ”六甲全縦走”に連れて行かれた。 太ももが何度か痙攣しながらも12時間24分で宝塚駅に辿り着いたが、電車で西宮北口に着いた時には足が膠着して歩けなくなり駅まで兄貴に車で迎えに来て貰った。 職場の山岳部3名は六甲山頂で全縦走を諦めて下山していたらしい。以後、趣味の中では一番面白く無い山歩きをしなくなった。
『日本百名山』 ちょっとした錯覚(勘違い)から始まった富士登山。 結果は無謀過ぎた。
ふじさん
深田久弥著の「日本百名山」から
日本人は子供の時から富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山を指して何々富士と名づける。 最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な曲型として、いつも挙げられている不二の高根であった。
Road Map :富士スバルラインにて5合目まで車で行く。
Route Map:駐車地から山頂目指して直登し、吉田コース
で下山する。
メインレースは ”ニッサンR382”と ”トヨタ7”の
一騎打ちであったが、夜中に車を走らせFISCOまで来たので、眠くてレースを見ていられなかった。
今で言う ”富士スバルライン”は往復2,100円の有料道路で
あるが、当時の ”富士有料道路”は200円で往復出来た。
富士山五合目までのドライブのつもりだったのであるが・・・
山登りをするつもりで来たのではないので時間のカウントはしていなかったが、山頂の火口壁に着く。 普段、山登りはしない連中であり、飲み水も食料も持っていなかったので、火口壁に着いた時には完全にグロッキーであった。
今で言う外人の無謀富士登山の先駆けだったのだろう。
折角、富士山に登ったのだから、お鉢を半周して富士山最高峰の ”剣ヶ峰”に向かう。
”剣ヶ峰”でレーダー観測所に頼み込んでお水を飲ませて頂いた。
2023年11月17日改定